全力を出す事を怠る、健常者の持つ「健常という障害」に気付いた話

こんにちは、弥津です。

今回は、『全力を出す事』について話題にさせていただきます。

余計な情報や欲に惑わされて全力を出さない健常者って本当に「健常なの?」という、私が感じた疑問を自分勝手にお話します。

2016年に行われた、ブラジル・リオデジャネイロオリンピックとパラリンピック。

この2つの大会の陸上競技で、注目すべき出来事が起こったことをご存知でしょうか?

リオ・パラリンピック男子1500メートル(T13視覚障害)で、アブデラティフ・バカ選手が世界記録の3分48秒29で優勝した。

この記録は、リオ・オリンピック男子1500メートルの金メダル記録3分50秒を上回る。

つまり、バカ選手がもし8月に同じ競技場で行われたリオ・オリンピックに出ていたら、金メダルに輝いたことになる。

引用:ハフポスト日本版「パラリンピック男子1500m(視覚障害)、4人がオリンピック金メダル記録を超える」

上記の引用記事にあるように、パラリンピック・陸上(視覚障害)1500mの優勝者が、同種目のオリンピック出場の健常者の優勝タイムを上回るという出来事があったのです。


さらには、優勝者だけでなく、4位までがオリンピック1500mの金メダリストのタイムを上回っていたという快挙。

なかには、この出来事を「珍現象」と表現する記事がありましたが、私はこのような事は十分に起こりうると感じます。


1500mなどの中長距離は、最初から最後までほぼ全力疾走するような競技ではありません。

「駆け引き」が重要な種目と言われています。


勝つためには、周りの様子を見ながら適度に温存し、勝負どころでフルパワーを出すのが定石です。

そうでもしないと、体力が持たないですからね。


しかし、「駆け引き」が行き過ぎると、自分のベストタイムより大幅に遅いタイムで終わることもよくある事。


勝負が優先され、「自分の限界への挑戦」という視点は一旦置いておくなんて事が起こるのです。

しかし、それは見ていて「応援したい!」と思えるレースでしょうか?


その2つのレースの動画がありましたので、以下に貼らせていただきます。

最初がリオ・パラリンピック1500m。
次がリオ・オリンピックの1500mです。

共に「アスリートの走り」であることに変わりはなく、スピード感はまさに「世界レベル」。

しかし、見比べてみてどちらの方がスッキリとするのか。


リオ・オリンピックの1500mの方は、最初から最後まで「駆け引き」を見せられて終わった印象。

その一方で、リオ・パラリンピックの1500mは周囲が見えにくいがゆえに「ベストを出さないと勝てない!」という「全力感」を常に感じることができました。


実際に、レース後の選手の様子を見れば分かりますね。


リオ・オリンピックの選手たちは、まだもうちょっと走れそうな様子です。

しかし、リオ・パラリンピックの選手たちは全力出し尽くしたのでしょう、座り込む選手が多かったですね。


動画を見比べると、パラリンピックのタイムがオリンピックのタイムを上回るなんて、あって当然と思えます。

そこで私が感じたことは、健常者は「『健常』が障害になっているのではないか」ということです。

では、そもそも『健常者』とは何でしょうか?

【健常者】

心身に障害のない健康な人。健全者。

引用:コトバンク「大辞林 第三版『健常者』」

障害とは「壁」や「生きづらさ」。

健常者には、その『障害がない』と表現されていますが、果たしてそうなのでしょうか。


自分を守る「自己防衛本能」は誰しも持っているもの。

先程のリオ・オリンピック1500mの駆け引きも「勝負に負けたくない」という、ある意味『自己防衛』の表れだと思います。


その自己防衛が共に走っている仲間と合致し、極端なスローペースを生んだのです。


『健常』、『健全』なのに全力を出さない・・・「横柄感」を感じるのは私だけでしょうか。


そこには、無駄な情報に惑わされて全力を出せないという理由もあるでしょう。

周囲の動きや考え方が見えるからこそ、影響を受けてしまう・・・。


何かに影響を受けやすく、それによって自分自身の本来の実力を出せない事は、それこそ障害(壁・生きづらさ)だと思うのです。

一般的に、障害を持っている人は健常者より感覚が研ぎ澄まされて、高い能力を発揮する場面が多いと言われています。


私がケアマネジャーとして関わっている視覚障害のある高齢者の方も、場の空気や周囲の動きを感じ取る能力に長けている人がいます。

なかには、天気の変化を予知できる人もいました。


私達は「見える・聞こえる」という当たり前にある安心感から、感覚を研ぎ澄ます努力を怠っています。

健常者は限界挑戦という努力しなくても、欲しいものや欲しい状況を得ることが可能なのです。


それがゆえに、健常者は退化しだすと止まらなくなります。


その反面、『障害』は生きる上での妨げというだけではなく、「進化のきっかけ」になると言います。


かたや退化した結果の健常者たちのリオ・オリンピック1500m。

かたや進化した結果の視覚障害者たちのリオ・パラリンピック1500m。


この結果が物語っていますよね。


私達は十分なものを与えてもらっているのに全力を出さない・・・。

そして、自分の与えられたものを研ぎ澄ます努力をせずに、何か少しでも上手くいかないと不満を口にする。


健常者は「健常という障害」を負っているのではないかと考えた私です。


障害者には障害者なりの生きる為の進化の努力があるならば、健常者なりの生きる為の進化の努力もあるはず。

今後、自分は「進化の努力を常にしているのか」と自問自答していきたいと思うのです。


絶え間ない努力によって、優れた能力を勝ち得ていた障害者に敬意を!!


それでは!
以上、弥津でした。

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