高齢者支援の分野から見る「自己責任論」の正解・不正解を考える

2019年9月10日

こんにちは。うちの子供に責任感のある人になって欲しくて空回りしている弥津です。

今回は、自己責任論について私なりに考えてみたいと思います。
自己責任についての「正解」、「不正解」とは何かを勝手に考察します。

私は「自分の行いは自分で責任を持つのが大人」だと認識してきました。

しかし、人生で自分だけの力だけでクリアできる障壁ってどれだけあるでしょうか?
幼い時から数えれば、そのほとんどが親などの他者の力を借りてクリアしているはずです。

「子供=未熟だから」
それゆえに、自己責任を免れるのだとしたら、大人になったら人の助けを乞うのはタブーなのでしょうか?

まずは、大人になれば全ての責任を負えるようになるのかについて考えます。


【SPONSORED LINK】


そもそも皆、全知全能の神なのか?

人はどんなにパーフェクトを自負していようが、「失敗」を犯す生き物です。

「私は今まで何の失敗もしていない」と思っている人は、失敗を失敗と思っていないか、他者からのフォローを受けても当たり前と勘違いしている人です。

「子供の時は失敗を自己責任で片付けられないけど、大人になれは違う」という考え方は少しは正しい。
しかし、大人になれば救いの手を得ることができないというのは間違いです。

それは、世界にいる全員が全知全能の神ではないからです。

「自分は高い能力を保持しているので失敗は犯さない!全て自己責任でやってこれている」という考えこそ、無責任と言えます。

家事協力をしてくれる家族がいたり、仕事で協力してくれる仲間がいたり。
もし、誰も本当に協力してくれない状況だと、家の中は無茶苦茶。そして、仕事では、いくら働いても時間が足りないなんてことが起こりますよね。

仮に、一人暮らしの人や、フリーランスで仕事をしている人であっても、必ず他者の協力があって成り立っているものです。

一人で電気ガス水道を引ける?食べ物は自給自足で完全に賄えている?
仕事では、お客なしにお金を生み出せてる?

このように、日頃意識していないだけで、かなりの人の協力を得ながら生活しているのです。

もし、自己責任論を説く人がいれば、「あなただって、人の協力なしには生活できないくせに」となってしまいませんか?

現在社会で生きる人は、無意識のなかで、必ず何かに依存しながら生活していると言えますね。


【SPONSORED LINK】


生存権とは「助けを求める権利」

助けが必要な人に手助けをしないのは、自己責任論で片付けられない理由があります。

それは、世界人権宣言にある『人間らしく生きる権利』と、日本国憲法にある『生存権』の存在です。

世界人権宣言の第22条は、以下のように訳されています。

【谷川俊太郎の世界人権宣言】

詩人の谷川俊太郎さんが、『世界人権宣言』をわかりやすい言葉にまとめたもの。

第22条 人間らしく生きる
人には、困った時に国から助けを受ける権利があります。また、人にはその国の力に応じて、豊かに生きていく権利があります。

引用: http://yakanchugaku.enyujuku.com/shiryou/tanigawanojinkensengen.html

このように、世界中の人々は「困った時に国に助けを求める権利」を有していると言えます。

また、日本においても生存権が保障されていますよね。
生存権とは、前述の内容と同様に、困ったら国に助けを求めてもいいし、国にはその生活上の困りごとに対応する義務があることを指します。

【日本国憲法】

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

引用: 生存権 – Wikipedia

このように、人として生きている限りは、大きな意味では「助けを求めてもいい」ことが保障されているのです。

そして、もう一度言いますが、国はその求められた助けに応じる義務があるのです。

それでは次に、それを踏まえて「高齢者などの生活困窮者に自己責任論を適応すべきなのか」について考えたいと思います。

わがまま高齢者は支援しなくていいのか

高齢者支援の仕事をしていると、高齢者の中にも、過去の未熟な失敗から抜け出せずに生活保護が必要になった人に出会います。
それに、自己管理が足りずに要介護状態になった人たちにも。

そういった、他者から見ればワガママの成れの果てのような高齢者の方々に税金を投入するのは「無駄だ」という考え方があります。

でも、先ほどお話した「生存権」を思い出してください。
国や市町村は、困った人を助ける義務があるのです。

集めた税金は、基本的には人々が生活しやすくする為に使われるもの。
そこには、困った人の生活を立て直すことも含まれます。


私たちが国や市町村に託した税金は、助けを求める権利を有する全国民に対して使用されているわけですから、不正な使用道ではありません。

仮に、自己責任論を適用したくなるような人に対しても、使用されることになんらおかしなところはないのです。

その人がどんな道を歩んでこようが、支援が必要だと訴えてきたら手を指しのべる。
それが、税金を使用する国や市町村の責務なのです。

憲法を順守する行為を行っているのに、それを個人が「自己責任だ!税金を使うな」というのもどうかと思います。

結局は、自分が奈落の底に落ちた時に、同じように「こいつには税金使うな」と批判されるだけです。

人は不思議と自分の悪しき行いがブーメランとして返ってくるものですからね。


【SPONSORED LINK】


自己責任論の正解・不正解は?

今まで自己責任論を説ける権利が私たちにあるのかについてお話してきました。

それでは、最後に「自己責任論の正解と不正解」について結論づけてみたいと思います。

先程、憲法について触れましたが、憲法は国民が守るべき法規ではありませんよね。
では、人権宣言や憲法の生存権を私たち個人が無視していいのでしょうか?

何度も言いますが、人権宣言や生存権を守る責務を果たしている国に対して、非難しているようなものですから矛盾がありますよね。

人らしく生きてもらう為に責任を全うしようとしている国の行いを責めるのは自分の首を絞めるようなものです。

それより、もっと税金の無駄使いを責める箇所は他にあるはずです。

色々考えてくると、自己責任論ってただの個人の感情論とも言い表せますね。

しかし、その自己責任論を向ける方向を工夫すると、有効ものに変わります。

自己責任の意識を自分自身に向ければいいのです。
自己責任論を自分自身に説けば、責任感が身につくでしょう。

このようなことから、自己責任論は自分に向けて適応することが「正解」であり、他者に対して強要するのは「不正解」だと分かりますね。

自己責任という言葉を使って声高に非難する自分が「かっこいい」と思っていないか。
あなたは本当に自己責任を貫いて生涯やっていける覚悟はあるのか。

このような点にも注意したいですね。
他者の力なしに生きるってそんなに甘くはないと思う私です。

それでは。
以上、弥津でした。

【こちらの記事もおススメ】