人を信用せずに生きる事は本当にダメなのかを考えた

こんにちは、弥津です。

人を信用することって、素敵なことであり、そして辛いことでもありますよね。

人間不信な人は損をするといった意見を聞いた事がありますが、果たして人を信用せずに生きるのは「ダメ」なんでしょうか?

私が考えるに、人を信用するしないで損得は一概に決められないと思うのです。

信じるか、信じないか・・・その人の心がどちらを選ぶと安定するのか次第で、「両方あり」だと考えます。


ようするに、人を信用しない事でその人らしく生きられるのであれば「全然OK」。


「人を信じられないなんて可哀そう」

そんな意見は余計なお世話ということです。


実際、そんな私も人間不信を自負しております。

では、なぜ人を信用しなくてもOKなのかについてご説明します。

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育ってきた環境と経験で「逃れられない人間不信」体質に

幼児期から大人になるにあたって、自分ひとりだけで、住む環境や経験を選んでいける人は少ないでしょう。

ほとんどの場合、親などとの人間関係や住環境、その他突発的に起こるトラブルといったものに大きな影響を受けながら成長していきます。


私のように、親から心身共に傷を負わされた人間は、自分を守る意識が強くなります。

過去の傷を負った経験から、自己防衛意識が強くなるのです。


「人を信じるな、また傷つくぞ」という脳からの指令が出やすく、簡単には人の言葉を信用しない『体質』に。


これは、心に刻み込まれた傷によって起こる心理で、トラウマとも言えます。


この作られた『本能』を意識して抑えることは大変難しい。

とにもかくにも、本能的に発動する心理なので『無意識』・・・コントロール困難なのです。


このように、人を信用しないということが本能として出来上がってしまっている人にとっては、「人を信じろ」ということ自体がストレスになりかねないのです。

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人を信じないことは「特殊」ではない

はなから人を信用しないのであれば、他者から騙される可能性が少なくなりますよね。

そういった面は、信じやすく騙されやすい人よりは「得をしている」と感じます。


でも、良い事ばかりでもないのも確か。

他者が本当に好意で勧めてくれた話を、疑ってかかって拒絶してしまうことも。


でも、良い話には必ず裏がありますよね。

誰しも自分の利益を知らず知らずに追い求めるもの。


「あなたのためだから」なんて言っても、結局はその話に乗ってくれることで自分自身に利益があるわけで。

自己犠牲を払ってまでも、あなたに得を授ける人がどれくらい世の中にいるでしょうか・・・。


親にさえ裏切られた私としては、「いない」と結論付けるしかないんですよね。

そうであれば、そもそも人を信じない方が楽な気がしませんか?


私が考えるに、「信じる」ことって心に大きな負担がかかるように思えます。

人を信じている時、みなさんはどんな気分でいますか?

人を信じているとき、その「結論」を知りたくなりますよね。

信じている通りの結論が出たのか、信じている通りの結果になったのか。


信じることは『期待すること』。

結論・結果を待っている間、かなりのストレスがかかると思うのです。


そして、全て期待通りに行かないのが人生・・・。

その時のショックは計り知れない。


期待の裏切りによって学ぶことも多いですが、立ち直れない可能性も高い。

心の傷を負うことで・・・結局は「もう誰も信じない」という結果になる人が多そうですよね。


世の中の多くのパターンとしてみられるのが

この「期待を裏切られて、人を信じることを諦める」・・・なのです。



最初は全員「信じてる」から始まっても、様々な経験を積むことで「人を信じ続ける」と「人を信じない」に進む道が分かれます。

これは、生きていれば、どちらのするのか必ず迫られる選択と言えます。


そう考えると、人間不信になることは二者択一のひとつであって、決して特殊なケースではないと分かりますよね。

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心の平安を保てるのはどちらだ

人はその強さの個人差があるものの、「自分中心に考える生き物」です。

それがゆえに、「騙された!」、「裏切られた!」といったネガティブな印象を受けることも多い。


全て期待通りの人間関係って人は、かなりのレア人物でしょう。

ですから、改めて考えてみると、人を信じないことは「人間関係における自然な流れのひとつ」と思います。


「人を信じないことは良くないことだ」

「人間不信なのは可哀想」


と、一概に言えないことが分かりますよね。


それでは、「良し」、「悪し」を分ける要素は何なのか。

前述したように、『自分の心の平安が保てるのはどちらか』なのです。


人を信じて心が苦しくなるようなら、信じない方が向いているのかもしれない。

人を信じずにいることが淋しい・悲しいと感じるのであれば、信じている方が幸せを感じられるかもしれない。



他者を信用しない人を「問題視」する視点は、通常認められるべき選択肢を否定していることになると思うのです。

ふた通りの道があってしかるべきだと理解しましょう。


そして、人間不信によって過度な攻撃性を示すのには注意を。

人を信じないことは他者を攻撃することではありません。


「適度な距離を保つこと」だと認識し、自分が他者と円滑にコミュニケーションをとる為の『コツ』だと考えましょう。


それでは。
以上、弥津でした。

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