「死にたい」と言われた時、どう対応したらいいのか

こんにちは、弥津です。

突然ですが、みなさんは死にたい」なんて思った経験ありませんか?あるいは、そう打ち明けられたことはありませんか?

私もそんな思いに憑りつかれる経験が時折ある、一人です。

でも、いきなり「死にたい」と言われた時、みなさんならどう答えますか?

今回は、そう言われた時に、どう対応すればいいのかについての私の意見をお話します。

「死にたい」と言われた時、たいがいの人は言葉に詰まるでしょう。


即答できたとしても「そんな事言うなよ」、「また、冗談を・・・」なんて言葉で、『その場の空気をスルーさせる』手段になりがちですよね。


たしかに、「死にたい」という思いに対して「いいね」なんて言えない。

それで「自らの命を絶つ意思」の背中を押してしまったとなれば、自身への責任が乗りかかる感じがするからです。


生きる事を終わらせたいという思いを表した言葉に対して、肯定できないとなれば、『スルー(否定)』か『励まし』しかないわけで。


それでは、「死にたい」という言葉に対して『スルー(否定)』した場合と『励まし』をした場合。

された側はどんな心境になるのかを考えてみましょう。

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「死にたい」に対してスルーや楽観した場合

「そんな事言うなよ」

「また、冗談を」


こういった言葉は、「相手の(重過ぎる)意思をかわす」意図があるように感じます。

ようするに、「そんな話、真剣に受け止めなくない」という気持ちの表れ。


受け止めて反応してしまうと、深刻な話に付き合わさせられる、あるいは「理解者と思われてしまう」という恐怖感もあるのではないでしょうか。


それに、スルーは基本的に『否定』と何ら変わりはありません。


「気にするな」や「気のせいだよ」と言った楽観を促すような声掛けも、話を聞いているふりを見せているだけで、相手の気持ちを受け止めていません。

気にしないことができるのであれば、どん底状態に苦しんだりしないのです。


そして、「死にたい」という言葉を発した本人は、このようなスルーや楽観の言葉をどう聞こえるのか。


あとでお話しする『励まし』より、余程傷つくのがこの『スルー(否定)』と『楽観』だと私は思います。


私は悩み苦しんでいる時に、それを知った相手から気軽に返答されると恨みすら感じた経験があります。


私はこういったスルーや否定・楽観の反応が、「どうぞあなたのご自由に」に聞こえるのです。


甘えるなって意見が飛んできそうですが、「死にたい」と打ち明けたこと自体がSOS発信なのも事実。


人によっては「それならそうさせてもらいますよ」といった、良くない結末に踏み切るきっかけを作りかねない、最悪な対応だと思います。

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「死にたい」に対して励ました場合

それでは、『励ます』のはどうでしょうか。


相談業務に関わっている人なら聞いたことがあると思いますが、心が疲れている人に励ましは厳禁です。


なんせ、すでに頑張りすぎで疲れ果ててるわけですから。励ますことで「頑張りが足りない」と責め立てていることと変わりないのです。


また、前にも後ろにも進むことを望まず、「今」で終わりを考えている人に、漠然とした明るい未来を語っても、うわ虚言に聞こえてしまう悲しさ。


励まして満足するのは、励ました人だけだったりします。


こちらも、相手を追い詰めてしまう結果となるでしょう。

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ベストな対応の仕方は何か

「あなたの気持ち、よく分かる」なんて言ってくれる人いますよね。

たいへんありがたいものですが、その言葉を素直に嬉しいと思えないときが多い私です。


その理由は、人生を閉じたいと思っている他の人の気持ちを、私自身が代弁する自信がないこと。

ようするに、人生終わりたいと思う心境って、その人によって千差万別。


他人に本当に分かるものではないと、私自身が理解しているからです。


だからこそ、簡単に「気持ちが分かる」とは言えないレベルの悩み・・・。


それに、真剣に聞いてくれるあまりに、心に刺さる名言を与えてくれようとする人もいますね。

立ち直る、元気が出そうな前向きエピソードやワードを並べて、前進させようとしてくれる人も。


ただ、これも聞いていて苦しいものです。

それならどうすればいいのか。


今までのお話しで大体察しがつくかも知れませんが、「死にたい」と言う人には、聞き手からの言葉は無用だったりします。


心が疲れている人と同じテンションに合わせ、ただ黙って聞くのみ。


助言はしない。

黙っているなら黙ったままの時間を共に過ごせばいい。


そして、苦しさを吐露できるタイミングがくるまで、その場で静かに待ってて欲しいのです。



対人技術を学ぶ際、「非言語的コミュニケーションの大切さ」の説明を受けることがあります。


非言語コミュニケーションとは、挨拶などの言語が出てくる前の表情・服装などの印象。

または、さりげなく触れるといった言葉で表現されないコミュニケーションのことです。


先程からのお話のように、「死にたい」と悩む人には、基本的に相手の言葉はいらない「非言語」でOKだと思う私。

心許せる人と一緒に、海を長時間黙ってみているだけで穏やかな気分になるのは、まさにそれです。


私の経験では、自己改革を推し進めるようなアドバイスで元気にはなりません。

何に絶望して生きるのに疲れたのかをこちらが話し出したいタイミングまで待って、静かに聞いてくれれば良かったりします。


静かに聞いてくれているうちに、自分が何に満たされずに「死にたい」と思っているのか、見えなかった自分の欲求に気づかされたりするものです。


自分の力で、心がどん底に落ちた原因に気付くに至る、時間と聞き手役の協力があれば・・・と、自分勝手に考える私です。


この話題に関しては様々なみなさんの意見があるでしょうね。


ここでは、あくまで私の独り言として。


それでは。
以上、弥津でした。

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