寄り添いは近ければいいとは限らない。その適正距離について考えた話

2019年6月4日

こんにちは。「寄り添いって何だろう」といつも悩んでいるケアマネジャー・弥津です。

今回は、「何でも近くに寄り添いさえすれば、その人の為になるのかという私なりの疑問についてお話します。

みなさんが「寄り添う心」を持つ時は、相手が困っている状況にある時ですよね。

困った状況に陥っている人は、時として藁をもすがる思いです。


目の前にいる寄り添おうとしてくれている人を巻き添えにしたり、自分の重荷を背負わせようとしてり、悪意なくとも危害を与えてしまうこともあるんです。


特に、精神的に追い込まれている精神疾患のある方との「寄り添い」の距離感は難しかったです。

まずは、私が先日関わった妄想型統合失調症の方との面談の話から聞いて下さい。

寄り添いの適正距離を考える

うちの居宅介護支援事業所の表には、「高齢者の方の相談何でも受け付けます。気軽にどうぞ」的な看板が掲げられています。

それゆえに、さまざまな相談の電話がかかってきます。 


ある日、ある高齢女性から切実な感じで電話がかかってきました。

「マンション住民全員が私を監視している」


話を聞いて行くうちに、「最近ではいく先々で男性二人組が私をつけてくる。毎回人は違うのですが・・・」といった内容に。

落ち着いて話を聞く事で得られる満足感

私はその『監視』という言葉を聞いて、ピンときました。  


統合失調症が疑われる方はこの『監視されている』という悩みをよく訴える傾向があります。 
 
それに『電磁波で攻撃を受けている』といった訴えが多いのも特徴。 

すぐに訪問して相談に乗って欲しいとのことでしたので、すぐに自宅などの情報を伺い、訪問しました。 


自宅内は整理整頓。 

ご本人も80代後半にしては身だしなみは清潔感があり、身体も杖や手すりなんて必要なさそうなくらい自立しています。 


しかし、普通に話す姿は元気な「ご婦人」・・・しかし、話が本題に入ると顕著に現れる妄想。 

先程の電話で話されていた「監視されている」という訴えをもう一度されます。 


ですが、話の内容がどこか具体的でないんですよね。


監視を受けるようになったきっかけも分からない・・・。

いつ頃にどんな出来事があったから、マンション住民が監視を始めだしたと感じだしたのかとか、具体性がない。


ほとんどが「それが何でか分からないのよ」といって終わりなんです。 

傾聴は2時間以上になりました。

結論に至らずも「先の見通しがついてスッキリした」といい、笑顔で私を駐車場まで送ってくれました。 


「でも何がよかったのかな??」 
私自身が多少不思議でしたが・・・。


では、私が無意識のうちにどんなやり取りをしていたのか。

振り返った時に、いくつか重要な点があったように感じました。

見せている世界が「真実」だと受け入れる

認知症ケアに関しても同じことが言えるのですが、相手の方が見ている世界を受け入れないと話が始まりません。 


『受け入れる』というのは、その方が見ている世界を想像することです。

まずは、「そんなの妄想だって・・・」という拒否的な見方を排除しないといけません。


こちら側には見えていないものや感じられないものであっても、相手の方には確実に見えたり、感じられているのです。 

その人が見えているもの、感じられているものが『事実』なのであって、人によって違うもの。 


例えば、「おばけ」について。

同じ場所に二人でいたとして、私にはおばけが見えた! でも、もう一人は見えない・・「おばけなんていない」と主張しだす。


どっちが正しいのか、『事実』なのか・・・・ 

実は、どっちも『事実』なんですよね。 


おばけが見えたのであれば、いたんです。
見えなかったんなら、いないんです。・・・それと同じ。

自分の主張や考えを正解として、相手の意見を否定しては『寄り添い』にはならないんですね。


 「監視されている」、「窃盗犯として疑われている」と言うのであれば、そうとして一緒に解決法を考えていく姿勢が必要なんです。


『受け入れる = 寄り添い』。
「絶対おかしいこと言ってるな」と思っても否定している姿はみせない。


それによって、相手が気持よく本音を吐き出してくれるんです。

「支持」から「指示」への転換のタイミング

受け入れるという考え方が理解できたところで、ここで難しい問題がひとつ。 

受け入れっぱなしだと、時に危険が生じるということ。 


悩みを抱えている人を相手にする時、その人はとにかくその悩みから解放されたくてたまりません。
時にどんな手段をつかってでも。 


円満に解決できればベストですが、そうじゃない時は身近な人に責任をなすり付けてでも楽になろうとします。 

「最低なやつ・・」と思うかもしれませんが、これは誰だって同じです。

急迫しているのであれば、尚更他者に責任を押し付けようとします。 

初めは相手が見ている世界に理解を示し、「そんな酷い目に遭っているんですね」と苦悩を共有します。


そうすると、相手は「味方が現れた!!」と感激してくれます。 

そして、全ての苦悩を打ち明けてくれますが、受容し続け、最終的に行き過ぎると『依存』へと移行していきます。 


「この人に任せておけば解決してくれるかも」といった思考です。

だって、今まで自分ではどうにもできなかったんですから、解決してくれそうな能力を持った人が目の前に現れたら「私の代わりに解決してほしいな」と期待するのは当然です。 

Photo by Sarah Pflug from Burst

『依存心』が『相手を利用する』考えに発展し、『都合のいい責任転嫁』へと進んでいきます。

「この人に任せておこう」から、「この人に責任を譲ろう」という考えに変わっていくんですね。 


「(苦悩から)解放されたい」という思いから極度の自己中心思考になるのは、人であれば時にはありうる事です。


私が面談した統合失調症の疑いのある女性もそうでした。 

私が監視されている、窃盗犯と疑われているという話を信用し、受け入れ続けているとこう言ってきました。 


「あなたなら周りの人を説得してくれそう。協力してもらえますか?」 

協力という言葉を使っていますが、これは私への依存心を表していると感じました。  


「これはいけない・・・責任の所在を私に移そうとしている」 そう思った私は、ここから『支持』の姿勢から『指示』する立場へと転換しました。

依存しては何も解決しないと伝えよう

他者を使って説得しようとしても、人は「自分で説明に来ないのは引け目はあるから」と考え、一層疑われるとその女性に伝えました。 


要するに、「人に頼らずに自分でやるんだよ」をいう私なりの前向きなサインです。


そして、動揺している姿を周囲に見せ続けることで、監視する面白さを周囲が感じるとも説明。 

堂々としている事で監視している側も「面白くない」と感じ、そのうち消えていくはずだと。

監視する側も何かの誤解で嫌がらせをしているかもしれない。

動揺しない堂々としている姿をみたって面白くない。


監視する側も自分の時間を犠牲にしているので、面白くない事にいつまでも付き合ってられないはず。 


こういった指示を繰り返し、自分を変えることで活路を見出す術を真剣に伝えていきます。 


『支持』ばかりではダメ。
そして『指示』ばかりでもダメ。 


まずは支持で心の扉を開かせ、そして『指示』で相手が自分の力で解決できる技を植え付けるといった感じが良いでしょう。

接近と引くを交互に繰り返す

人の心はキレイ事言ったって所詮は、「自分中心」に出来ています。


近づいてくれる人に心の癒やしをもらい、それで満足・・・ですが、そうである時でそうでない時があります。 
それは悩みの深刻さで変わってくるのです。


深刻であればあるほど解放を強く求め、自己中心思考が強くなります。 

時として自分に手を差し伸べてくれる人に依存し、問題という重い荷物を譲ろうとすることも。


ですが、これは誰だって同じですから、責めることはできません。 


困難な状況に立ち向かっても打ちのめされ続ければ、逃げたくなるもの。 

妄想型統合失調症の方にとっては、妄想は『事実』。

Photo by rawpixel on Unsplash

妄想を事実を認め、近づいていったあとは、接近しすぎに注意が必要です。

それは先程もお話したように。人は助けて欲しい時に『藁にもすがる』くらい真剣だからです。 


急迫した悩みを持つ人は、近づいてきた人にすがります。
逃さないように必死に掴もうとする時だってあります。 



そうなると、自分を見失い、掴まったものにこの先を委ねるんです。


寄り添いとはただ近づくだけではない。

問題を自分の力で解決できるよう、近づいたそのあとは、距離を開けることも大切なのかなと感じます。 


突き放すというわけではなく、一人で解決に向けて取り組める道標となる助言を行わないといけません。 

近づいて、離れてをうまく使いこなせるかが重要ですね。


それでは!
以上、弥津でした。

【こちらの記事もおススメ】