信仰するなら自分だけの宗教を作って信じる方がいいと思う私の理由

こんにちは、弥津@yazusui)です。

今回は『既存の宗教を信じるより自分だけの宗教を作って信じた方がいい』という私の考えについて。

何も信じられなくて心が穏やかになれない方に向けて、同じく信じるものがなくて心が乱れていたの私が解説させていただきます。

【みんなと私の疑問と悩み】
心が乱れて何かを信じたいと思っても既存の宗教には抵抗がある・・・。

  • 心の支えになる信じられるものが欲しい
  • 宗教は金儲けばかりなので信じたくない
  • 心が崩れる前によい方法がないか知りたい

それでは、何を信じて心の拠り所にすればいいのかを考えていきましょう。

この記事では

  • 『宗教』は宗教法人だけではない!
  • わがままに信仰できる『マイ宗教』を自分の心に作ればいい

このような内容が分かります。

弥津
弥津

お布施や会費が必要な宗教に入信することだけは『宗教』ではないと思います。自分のペースで信じられる心の拠り所を作ればそれでいいのではないでしょうか?

宗教法人に入信するだけが「信仰」なのか?

精神的に不安定になっている私に

信仰をもつことは心の平穏を得るのにいい」

という話を知人からいただきました。

でも・・・

弥津
弥津

どんな宗教もお金が必要だったり、禁止行為やら集会があったりで・・・ぎゃくに、ストレスになりそう。

そこでふと私が考えたのが

既存の宗教に入信しないと、『宗教を持つ』ってことにはならないの?

そこで今回は、心の平穏を得るための『宗教のあり方』について、私の考えをお話ししたいと思います。

弥津
弥津

信じるべきものはない。信じるべきは自分だ!!

まぁ、これでもいいのですが・・・自分を信じられなくなる時って多いですよね。

少し心に余裕があるときは「自分を信じる」でいいのですが、私のように精神的に病みがちな人の場合は、これでは心穏やかにはならないんですよね。

自分だけの宗教を作って信じる方がいいと思う私の理由

祈りは心を穏やかにする

といいますね。

ただ・・・何に対して祈れば落ち着くのか

そもそも祈る対象として、『信じるべき、人智を超えた存在』が必要なのでしょうか?

自分は「何」を一番信じられるのかを考えよう

ケアマネジャーをしている私ですが、担当する高齢者の中に熱心な信仰を持っている方は少なくありません。


特に、私が訪問のたびに影響を受けるのが、ある敬虔なクリスチャンの女性。

熱烈なクリスチャンとなると私に入信を勧めそうなものですが、その方は違います。


たしかに、キリスト教の教えに基づくお話はされるのですが

祈る対象は「なんでもOK」

という考え方を持たれています。

弥津
弥津

その考えは私もまったく同感!!

キリスト様とキリスト教における神様は凄い!と思えるのであれば、それを信じて祈ればいい。

しかし、私は

弥津
弥津

神様は過去にこんなスゴイことをしたとか、こんな超パワーをもっているとかいう、おとぎ話のような神様エピソードには引いてしまう・・・。

このように、私は他人の作った神やそれにまつわるお話は信じないタイプです。


現物主義というのか、実際に生きて存在を確認できた人しか信じないのです。


例えば、私の場合は私を心底可愛がってくれた亡き父方の祖母。

そして、同じく可愛がってくれた亡き母方の祖父。

私は既存の神仏を信じないくせに、この祖父母とはどこか不思議な力で繋がっているように信じています。

あなたの信仰対象はすでに心の中に存在する!

教祖が実在し、さも超パワーを持っているように謳っている新興宗教がみられますよね。

その教祖自体が特殊なパワーを有した神のような存在だとしても、その超パワーを持った神はあなたを認識していますか?

あなたの『片思い』じゃないですか?・・・と言いたい。

弥津
弥津

私の考える『信仰』は、お互いがその存在を認識して相思相愛な関係であることが前提。

自分を知らない『神仏』なんて信じないのが私の考えです。

先程もいいましたが、人智を超えた生きる存在なんて、私的には信じるに値しない。


その超パワーをいただいて病気を治したい、生活が豊かになる運をいただきたい・・・そんなところなんでしょうが。

でも、宗教を持っている方の中で少ない年金からお布施を捻出し、生活費が足りない方も見受けられます。

これはあくまで私の思想ですが、信じるべき存在というのは『リアル』の中にあると思うのです。

弥津
弥津

宗教を持つがあまりに貧乏生活を加速させてしまっている高齢者を多くみてきた私・・・とっても違和感が。

そんな私の宗教観・・・

私の信じるべき存在の基準は、『生身の人間が生身の努力・慈悲でいかに私を救ってくれたのか』。

超パワーなんて必要なくて、いかに優しく愛情を注いでくれたのかが、その『存在』を信じる要素なのです。

そういう意味では、亡き祖父母が私にとっての信仰の対象なのだと気づきます。


たしかに、祖父母と何をした、どうしてくれたなんてエピソードを思い出すと寂しさも感じますが、ホッコリとした気分にもなりますし。


祖父母のことを思い返すことで癒されるのであれば、それが私の「ひとりミサ」なのかもしれない。

弥津
弥津

もしかしたら、無意識のうちに私は心の中に『マイ宗教』が出来上がっていた?

あと、それに私自身がどう向き合っているのかの問題なのかもしれませんね。

信じている「何か」があれば何でも信仰になる

以前から私は

弥津
弥津

祈りたい時に祈ればいい。

自分勝手な『わがまま信仰』でOK。

と思ってきました。


しかし、『祈る』と『お願い』は違いますよね。

私が自分勝手に祈ればいいというのは、本来ただの困った時の身勝手なお願いにすぎないのかもしれません。


心の平穏を求めるのであれば、祈りによって「今日もこれで大丈夫だ」と信じられる心のルーティン化になるのがベストかと。

亡き祖父母の姿を思い浮かべ、生前に受けた恩恵を回顧する。

そして、その恩に対しての感謝を会話するように心でささやく。

ときには、お願いごとだってしていいでしょう、だって生前にもお願いごとを祖父母にしてましたからね。

祈ることは手を合わせなくても、『心の対話』でも祈りに通じると私は思います。

それで心が落ち着くのであれば、もはや『宗教』なんだと私は考えるのです。

弥津
弥津

長く続ける習慣とするなら、私は生前も亡くなった後も存在をイメージできる、思い出豊かな人を信仰したい。

これが私の結論です。

【まとめ】

いかがでしたか?

今回は『信仰するなら自分だけの宗教を作って信じる方がいいと思う私の理由』と題してお話させていただきました。


まとめとしてはこちら。

【この記事のまとめ】

自分の中に無意識に作られている信仰を自覚して、心寄せることをルーティン化すれば、それこそ最高の信仰を得たことになるのでは。

自分の信仰は自分で作れる!!

毎回、心の中にある信じる存在に語りかければ、気づきがあるかも。

それ気付きこそ、お告げかもしれませんね。


それでは。
以上、弥津でした。