こんにちは、社会福祉士ブロガー・弥津(@yazusui)です。
神様・仏様に祈ったところで願いが叶わずイライラしている方、多いのではないでしょうか?
自分の信仰は自分で作った方が有意義!

神様仏様に祈っても良い事のない方に向けて、私なりの健全な信仰のあり方について説明します。
既存の宗教に入信することだけが『宗教』ではないと思います。
信仰とは、心の拠り所なれば何でもいいのではないでしょうか?
自己完結で得られる精神的に安定する方法を説明しますので、参考にしてみて下さい。
宗教団体に入信するだけが「信仰」ではない

精神的に不安定になっている私に

信仰を持つ事は心の平穏を得るのにいい。
という意見を言っていた仕事関係の知人がいました。
でも・・・

どんな宗教もお金が必要だったり、禁止行為やら集会があったりで・・・私の場合、ぎゃくにストレスになりそう。
既存の神仏も、熱狂的に好きなアイドルも、亡くなったおじいちゃんおばあちゃん、そして自分への愛。
それらの存在にパワーをもらい、生きる原動力になるのであれば、どれもそれも『信仰神』なのです。
宗教団体に入信するだけが「信仰」ではない。
100%信じても祈れる対象であれば、何でもOK。
私としては、他人の神様に乗っかって、ルールに従いながらの信仰は信仰?
もっと心がフリーになれるはずなのに。
祈るタイミング、お布施、全てわがままにやってゆく事を許してくれる神仏こそ、心広き尊敬できる存在だと言えるのではないでしょうか。
自分だけの信仰を作る、私の考える2つの方法

私の意見としては、私の存在を認識し、優しさを注いでくれた実績のある人にしか、パワーは感じません。
きらびやかな衣装を着た自称神様が現れても何の感動もありません。

先生や家族、友達でもない教祖の何をみて凄いと尊敬するのか。
本来、あなたと長い年月を共にして努力を積み重ねた選ばれし人だけが信頼を得られるもの。
過去の人生で関わってもない神仏のどこに魅力が?
既存の信仰に抵抗がある私なので、かなりひねくれていますが。
- 自分は「何」を一番信じられるのかを考えよう
- あなたの信仰対象はすでに心の中に存在する!
いっそのこと、自分の信仰は自分で作ってみませんか?
①苦しい時に助けてくれたのは誰だったのかを思い起こそう
信頼があってこその信仰だと思う私。
何か物をもらったとか、お金を助けてもらったとかではなく、困窮した時に具体的な活路を見出してくれる神様がどれだけいるのか。
私は高齢者支援をしているので、時折信者が布教の一環として困ってそうな年寄り、生活困窮者を支援する活動をしているの場面に出会います。
他者の支援をする行動自体を否定はしないですが、結局は入信やお布施、選挙協力といった利益目的抜きではないと感じる事が多い。
それでもありがたい活動ではありますが、下心がある中での支援に対して、本当に心を捧げてまで信仰する価値があるのか。

それなら私は、長年精神面、経済面をリアルに支えてくれた亡き祖父を神仏化した存在として崇拝したい。
私としては、心の底から感謝できる存在はリアルの世界にしかいません。
毒親の元から守られ、今の自分が生かしてもらえたのは祖父をはじめとする親戚のおかげ。
仕事や人柄全てにおいて尊敬できるリアルな姿を見せてくれた祖父。
これ程、神仏にふさわしい存在は私にはないのです。
②あなたの信仰対象はすでに身近に存在している
- 賽銭をたっぷり入れたから幸運になるはず
- お布施を毎回たくさん入れているのでご利益があるはず
- 教祖様への会費を払えば幸せなれるはず
- 経典、書籍の内容を信じれば安らかに人生を過ごせる
既存の有名宗教団体は、実績がたしかにあります。
信者の数の分、幸せを感じている人、救われている人が多数いると思う方がいるでしょう。
団体規模・実績を根拠のもとで入信し、あなたとリアル交流のまんざらない教祖を頼りに会費を払う。
しかし、実際は100%信頼できる思い出の人は近くにいたのではないでしょうか?

リアルにお世話になった人を神仏化してあげれば充分では。
今のあなたを作る手助けをして命を燃やし生きた感謝すべき人を崇めれば、それ以上の神仏はいらない。
要するに、他人の神仏はそもそも必要ないと思うのです。
心が癒やされない神仏は神仏ではない

私は地元の厄除け寺に祈祷を受けに行くのが、年始の定例でした。
お坊さんの経と太鼓の音色、そして御札。
心が洗われた気分になり、一年の平穏無事が約束された感覚に。
でも、ある時思ったのです。

俺への恩も愛着もない仏、僧侶が何の幸福を授けるのか。
言い方は悪いのですが、「実体のないものに手を合わせ何かを期待している」、そんな虚しさを感じたのです。

俺って相変わらず、ひねくれてるなぁ。
既存の神仏に手を合わせても、祖父のように過去の思い出を思い起こして優しい気分にさせてくれることはない。
消えていなくなったけども繋がっている感覚がある、これこそ信じて仰いでいる事だと思う私です。
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わがまま信仰のススメ

リアルな信頼関係で繋がっていた信仰対象だったからこそ

祈りたい時に祈ればいい。
自分勝手な『わがまま信仰』でOK。
高額な会費、お布施、玉串料は必要ありません。
うちの祖父は「カネを置いていけ」とは言いませんし。
「カネや物をあげないとご利益なし」と思い込んでいるのはあなた。
そもそもカネと物で動くのは人間の話。

祖父は私のカネは絶対受け取らない人でしたから。
「お金をあげないといけない」のは、あくまで人間が作ったルールでは?
祖父と会話するように自問自答し、活路となるヒントを導き出す。
祈りだとかしこまらず、神棚・仏壇に向かい落ち着いて会話すればいいのです。
そして、心が休まればそれで祖父も満足なはず。
これが宗教としての安らぎではないでしょうか。

自分のタイミング、考え方で心を癒やす『わがまま信仰』こそが、私の理想の宗教です。
自分を軸にして生きていく事も有効
宗教に癒やしを求めてしまうのは、今の自分に自信が持てていない、あるいは自分の将来に不安があるからでしょう。
それは、自分を軸として生活を送れていないから。

他人からの影響を受け過ぎていると、自信を喪失して将来の自分に不安しか持てなくなってしまいます。
自分を中心とした『自分軸』で生きてみましょう。
自分に集中できるようになることで、心にゆとりを持てるように。
そのためには、自己覚知に有益なツールが必要。
私がオススメする下記ツールを活用すれば、『自分軸』で生活出来るようになります。
これにより、これまであまり意識できていなかった自分の「理想の未来」や「潜在的な欲求」が見えてきます。
ジャマな『他人軸』を排除して他に影響を受けずに自分にまっすぐに生きられるようになりましょう。
新しい自分に生まれ変わりたい方は、是非お試しを。

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【まとめ】

今回は『自分だけの宗教を作って信じる方がいいと思う私の2つの理由』と題してお話しさせていただきました。
私の身勝手な持論まとめとしてはこちら。
自分だけの宗教を作って信じる方が絶対有意義。
わがまま信仰で心をフリーにしよう。
毎回、心の中にある信じる存在に語りかければ、気づきがあります。
得た気付きこそ、お告げかもしれません。
それでは。
以上、弥津でした。
神様・仏様を信じても願いが叶わない。
何を信じればいい?