こんにちは、社会福祉士兼業ブロガー・弥津(@yazusui)です。

もう疲れました。俺、死にたいですわぁ。

う〜む、何て答えればいいのか・・・
突然ですが、みなさんは「死にたい」という言葉を知人から聞かされた時、どう反応していますか?
このように、深刻な相談にどう答えたらいいか分からない時ってありますよね。
この記事で分かること
- 精神的に追い詰められている人に「楽観」、「励まし」で対応するとどうなるか。
- 「死にたい」という人に『言葉』はいらない。

身近に精神的に落ち込んでいる人がいるという方に向けて、一時この世から消えたい願望を持っていた私がお答えします。

というわけで、今回は『「死にたい」と言われた時に、どう対応すればいいのか』について説明していきます。
「死にたい」と悩む人には、非言語の寄り添いで!

多くの言葉を伝えると、こちらの価値観で説明、説得してしまうことに。
静かに時間を共有してくれる『仲間』がいると分かるだけで心が回復するものですよ。
心が疲れている相手にどう反応すればいいのか
「死にたい」と言われた時、たいがいの人は言葉に詰まるでしょう。
即答できたとしても「そんな事言うなよ」、「また、冗談を・・・」という言葉で、『その場の空気をスルーさせる』手段になりがちですよね。
たしかに、「死にたい」という思いに対して「いいね」とは言えない。
それで「自らの命を絶つ意思」の背中を押してしまったとなれば、自分への責任が乗りかかる感じがするからです。
生きる事を終わらせたいという思いを表した言葉に対して、肯定できないとなれば、『スルー(否定)』か『励まし』しかないわけで。
それでは、「死にたい」という言葉に対して『スルー(否定)』した場合と『励まし』をした場合。
さらに『共感』してくれた場合。
それぞれ、された側はどんな心境になるのかを考えてみましょう。
「死にたい」に対してスルーや楽観した場合
「そんな事言うなよ」
「また、冗談を」
こういった言葉は、「相手の(重過ぎる)意思をかわす」意図があるように感じます。
ようするに

そんな重い話、真剣に受け止めたくないなぁ・・・
という気持ちの表れ。
受け止めて反応してしまうと、深刻な話に付き合わせられる、あるいは「理解者と思われてしまう」という恐怖感もあるのではないでしょうか。
それに、スルーは基本的に『否定』と変わりないですよね。
また、「気にするな」や「気のせいだよ」と言った楽観を促すような声掛けも、話を聞いているふりを見せているだけで、相手の気持ちを受け止めていません。
気にしないことができるのであれば、どん底状態に苦しんだりしないのです。
そして、「死にたい」と言っている本人は、スルーや楽観の言葉・態度をどうとらえるのか。

『励まし』より、余程傷つくのがこの『スルー(否定)』と『楽観』だと私は思います。
私は悩み苦しんでいる時に、相手から「なるようになるよ」とか「気にするな!酒飲み行こ!」なんて軽くに返答されて恨みすら感じた経験があります。
私はこういったスルーや否定・楽観の反応が
「私には関係ない。どうぞあなたのご自由に」
と聞こえるのです。
たしかに、死ぬも生きるもある意味「あなたのご自由」・・・甘えているととられても仕方ないでしょう。
甘えるなって意見が飛んできそうですが・・・。
でも、「死にたい」という言葉はあなたに助けて欲しいというSOS発進だったりします。
ようするに、しっかりと人を選んで言っているのです。
信頼しているからこそ、弱音を吐くし、本音で話す。
それがスルーや楽観で終わると「裏切られた」感覚になるのは想像できますよね。
人によっては「それならそうさせてもらいますよ」といった、良くない結末に踏み切るきっかけを作りかねない、最悪な対応だと思います。
「死にたい」に対して励ました場合
それでは、『励ます』のはどうでしょうか。
相談業務に関わっている人なら聞いたことがあると思いますが、「心が疲れている人に励ましは厳禁」と言われています。
なんせ、すでに頑張りすぎで疲れ果てているわけですから。
励ますことで「頑張りが足りない」と責め立てていることと変わりないのです。
また、前にも後ろにも進むことを望まず、「今」で終わりを考えている人に、漠然とした明るい未来を語っても、うわ虚言に聞こえてしまう悲しさ。
励まして満足するのは、励ました人だけだったりします。
こちらも、相手を追い詰めてしまう結果となるでしょう。
「死にたい」気持ちに共感してくれた場合
「あなたの気持ち、よく分かる」なんて言ってくれる人いますよね。
たいへんありがたいものですが、その言葉を素直に嬉しいと思えないときが多い私です。
その理由は
人生を閉じたいと思っている人の気持ちを、誰もが代弁できるレベルではないと考えているから。
ようするに、人生終わりたいと思う心境ってその人によって千差万別。
その理由も一つではないし、強さも違うものです。
だからこそ、「気持ちが分かる」と言われると、『じゃぁ、どう分かるの?教えてよ!』と問い詰めたくなるのです。
面倒だなと思われるでしょうが、結局のところそれが本当の話。
それに、真剣に聞いてくれるあまりに、心に刺さる名言を与えてくれようとする人もいますね。
立ち直る、元気が出そうな前向きエピソードやワードを並べて、前進させようとしてくれる人も。
ただ、これも聞いていて苦しいものです・・・申し訳ない。

「死にたい」と言われた時の良い対応は?
それならどうすればいいのか。
今までのお話で「あれもだめ、これもだめって、一体どうすりゃいいんだよ!?」って思う人が大半でしょうね。
結果として、「死にたい」と言う人には聞き手の言葉は無用だったりします。
心が疲れている人と同じテンションに合わせ、ただ黙って聞くのみで。
相談者が黙っているなら黙ったままの時間を共に過ごせばいいのです。
そして、苦しさを吐露できるタイミングがくるまで、その場で静かに待っていて欲しいのです。
私の場合は、それで一番心が揺れ動かず、救われた心境になります。
対人技術を学ぶ際、「非言語的コミュニケーションの大切さ」の説明を受けることがあります。
非言語コミュニケーションとは、挨拶などの言語が出てくる前の表情・服装などの印象。
または、さりげなく触れるといった言葉で表現されないコミュニケーションのことです。
【この記事のまとめ】
その重要な『非言語コミュニケーション』ですが、「死にたい」と悩む人においても有効だと私は考えます。
基本的に相手の言葉はいらない。
『非言語』のまま、その場で感情を共有すればOK。
心許せる人と一緒に、海を長時間黙ってみているだけで穏やかな気分になるのは、まさにそれです。
私の経験では、自己改革を推し進めるようなアドバイスで元気にはなりません。
何に絶望して生きるのに疲れたのかをこちらが話し出したいタイミングまで待って、静かに聞いてくれれば良かったりします。
静かに聞いてくれているうちに、自分が何に満たされずに「死にたい」と思っているのか、見えなかった自分の欲求に気づかされたりするものです。
自分の力で、心がどん底に落ちた原因に気付くのに至る、時間と聞き手役の協力があれば・・・と、自分勝手に考える私です。
この話題に関しては様々なみなさんの意見があるでしょうね。
ここでは、あくまで私の独り言として。
それでは。
以上、弥津でした。