こんにちは、社会福祉士ブロガー・弥津(@yazusui)です。
このように、誰しも「カッコいい自分でありたい」と思いますよね!
『カッコいい』とは、雑念なしで無心に取り組めている状態。
カッコいい自分をアピールしたい欲求を全く忘れるくらい集中して努力しているその状態が、本当の「カッコ良さ」かなって思う私です。
見た目がしょぼい私ですが、過去の経験から「本当のカッコ良さ」とは何かについて考えてみましたので、自分磨きの参考にしてみてください。
本当のカッコ良さって何?
結論、カッコいいとは無心になれること。
今回、私のいう「カッコいい」とは、ルックスがどうこうという話しは置いておきます。
素行のカッコ良さについて考えていきます。
私が過去の経験から一つの結論を出すとすれば
カッコ良さとは『今すべき事に集中して無心になると至れるもの』。
私がみていて「カッコいいな」と思う人は、周りからどう見られているとか、自己アピール出来ているかとか、気にせず自分のすべき事に没頭している人です。
自己主張とか関係なく、一生懸命な様子に人は感動しますし、好意を持つもの。
要するに、「ゾーンに入ってるっていう状態」に尊敬を感じるのです。
逆にカッコ悪いとはどういう事か
ここからは、私が反面教師にしているカッコ悪い人について取り上げたいと思います。
私の職場にこんな言い方をする方(同僚Y君)がいます。
Y君
この服、カッコいいやろ?
これ着てると俺もカッコ良く見えるから好きなんよ。
そう尋ねてくるのですが、正直な私の反応としては
自分がカッコいいとアピールしたいわけ?
自分で自分をカッコいいと表現することに違和感があります。
カッコいいアピールのように聞こえる発言に、嫌悪感を持つ私。
素直に人の言葉を受け止められない私の性格が歪んでいるのは分かっておりますが・・・。
しかし、実際にカッコいいか悪いかは、主観と客観で相違が出るのはよくあること。
自分で自分の今をカッコいいと他者に伝えること自体が、自分勝手、自己中心的だと感じてしまうのです。
カッコ良さの押し付けは、印象を悪くしそう。
またしても同僚Y君の例を出せば
- ギターを職場に持ち込んで、昼休み中に下手な演奏をわざと聞かせる「ギターしてるぞ、カッコいいだろアピール」
- フットサルを友達と始めたとかで、職場にボールを持ち込んで下手なボールさばきを見せる「スポーツしてるぞ、カッコいいだろアピール」
- 聞いてもいないのに、彼女とどこどこで何をしたとか、他者にすればどうでもいいエピソードを会話の中でいきなりぶっこんでくる「彼女いるんだぞ、カッコいいだろアピール」
このようなカッコいいアピールと思われる行動が見られます。
それでも、私は社交辞令的な感じではありますが
Y君、芸達者だし、モテるしでイイね。
と伝えたところ・・・そしたら、同僚Y君は謙遜せずに
Y君
彼女のためにも、カッコいい自分でいないとね。
この言葉聞いて、腹回りがゾクゾクっとしました。
そこで思ったのは
カッコ良さを表に出して見せようとするのは、カッコ悪い。
ということは、本当にカッコいいと思われたいなら、出来るだけ他者に示さない方が良いということですね。
カッコいい人になる為の4つの条件
では、皆さんは人を見て「かっこいいな」と思うのは、相手がどのような姿の時でしょうか?
人それぞれに意見があるでしょうが、今回は私の思う「カッコ良い人になる為の条件」を4点あげてみました。
- 自己陶酔しない
- 人をリスペクトできる
- 集中力が凄い
- 成果を上げる
自然なカッコ良さを醸し出せるように、参考のひとつにしてみてください。
①自己陶酔しない
世界で活躍したアスリートには、名言で有名な方がいます。
他者に対しての応援になるような名言は、勇気づけられるし、好感が持てます。
(これも私の個人的意見ですが)
しかし、自己陶酔しているかのような名言には、私としては感動やカッコ良さは感じません。
例えば、「超気持ちいい」あるいは、「僕は持ってますね」のような名言とされるアスリートの言葉。
自分に酔っている姿をみて、しっくりこない感覚になりました(個人の見解です)。
ようするに、その姿をみて興ざめしてしまし、カッコ良さが消えてしまったと感じたのです。
成果を出しても、自己陶酔している姿をみせない事が、カッコ良さの条件ではないでしょうか。
②人をリスペクトできる
それに、「人をリスペクトできているか」も大切。
相手のマウントを取りたいと思うと、自分のカッコ良さを主張したくなります。
関連記事『人はなぜマウンティングをするのか?原因と対処法を考えてみた』(※別ウィンドウで開きます)
マウントを取ろうとすることに終始し、どこか他者を見下すような姿に。
他者を尊敬できず、自己中心的な人はかっこ悪く見えますよね。
だからこそ、カッコ良さには周りの人をリスペクトできる心の広さが必要です。
③集中力が凄い
そして3つめの条件は、集中力が高いこと。
集中力高く働いている人を見ればかっこよさを感じますし、スポーツでも集中して練習に取り組んでる姿はかっこいいですよね。
自分をカッコ良く見せるために、他者の目を気にしている様子には、集中力は感じませんよね。
他者の存在が目に入らないくらい集中している姿に人は好感を持ちます。
自分がカッコ良くみられているかどうかとか気にせずに、するべき事に没頭していれば、周囲はカッコ良く感じてくれるでしょう。
④成果を上げる
さらに、成果を上げることも要素のひとつです。
他者が敬意を感じる成果(実績)を上げられれば、自然にカッコいい自分になれるでしょう。
でも、好成績を自慢してしまうと、一転して嫌われるので注意を。
しかし、これに関しては成果のあるなしがカッコ良さに直結するわけではないので、大丈夫です。
成果は出なくとも、目標に向かってまっすぐに努力した姿は周囲の感動を呼ぶでしょう。
努力を積み重ねられたこと自体が、『成果』!
誇れる実績を上げる事もいいですが、努力が継続できたという「成果」でも十分にカッコ良さを感じます。
【まとめ】
今回は、『カッコ良さは無心になる事!カッコ良い人になる為の4つの条件はと題して考えてきました。
「カッコ良くなりたい」と思うと今の自分を全否定し、新しい自分を作り変えたいと思っていまいがちに。
しかし、今の自分を変えるなんて、かなり困難な話しですし、自己崩壊を招きかねないのでやめた方がいいでしょう。
- 今の自分のままでOK
- 自分自身を成長させることに没頭しよう
自己アピールばかりでは「ただのカッコつけ」で終わってしまいますので、他者の目を気にするのはNGと考えましょう。
ちょっと意識を変えるだけで、周りの人たちから認められるカッコ良さを身に付けられます。
カッコつけたい欲求を自分磨きの原動力にするといいでしょう。
私もまだまだなので、意識していきたいと思います。
それでは。
以上、弥津でした。
カッコいい自分でありたい。
でも、どうすればカッコ良くなれる?