人の病気の苦しみが分からない人は一生優しくなれない理由

2019年12月17日

こんにちは、弥津です。

優しい人はいつになっても優しい。そして、優しくない人はいつまでたっても優しくない・・・。


長年福祉関連の仕事をしていて、優しくないままの人には「ある傾向」があると感じることがあります。

今回は、その件についての私の完全な個人的見解についてお話させていただきますのでご了承下さい。

では、優しくないままの人にはどのような傾向があるのか。

それは、私が思うに『病気に対して真面目に向き合えない』ということです。


人間として生きている限り、病気との縁は切れないですよね。

その一方で、病気に罹った当事者にならないと、その苦しみを知ることが難しいものとも言えます。


特に、若い頃には罹患する可能性の低い『認知症』に関しては、まさに「他人事」。


そのほかにも、『がん』、『心臓病』、『脳卒中』といった三大疾患においても20代、30代あたりの世代にはピンとこない人が多いでしょう。

それに、『難病』においても遠い世界の話のように感じている人がいるのでは?


だからこそ、若い時から病気にかかっている人の苦悩をイメージできる人には、一生涯他者を癒し続けるであろう「優しさ」という才能があると感じるのです。

病気の苦しみが分かる人はなぜ優しいのか

私が働く高齢者福祉業界。

優しい対応ができる人が適任の仕事ではありますが、実際はそのような癒しを与えられる人ばかりではありません。


認知症にかかった高齢者の記憶力のなさや判断力のなさを非難するケアマネ、介護士は今も昔も存在します。

認知症という病気が、本人がいくら努力しても記憶できない病気、そして判断力を奪われる病気と説明しても、そういった職員の態度は悪いままです。


「自分は職務を全うしている!悪いのは認知症高齢者だ!」という本心は隠せません。

私の経験から言って、このような人たちはどんなに優しさの重要性を説いても、優しくなることはない・・・。


優しい風な口調に変わることはできても、必ず病気に苦しむ高齢者を責める言動が出てしまいます。

まさに、病気に対してしっかりと向き合えていないと感じる人たちです。

では、なぜ「病気に真面目に向き合えない人は、優しくなる素質がないのか」について順を追ってご説明します。


まずは、優しくない人とは逆に、病気の話を真面目に聞ける人には『優しさの素質』がある理由について見ていきます。


先程お話したように、病気は罹ってみないと心底その苦しさが分からないものです。

でも、『苦しいもの』であることは、想像できますよね。


優しさにあふれた人は、自分に置き換えての『イメージ力』があるのです。

実際に体験していなくても、その苦しさをイメージする能力が長けています。


その反面、優しさに欠けている人は、苦しさをイメージする力が弱い。

このイメージ力の弱さこそ、優しさを得る障害なのです。

イメージ力がないと逃避癖がついてしまう

人の苦悩をイメージする力は、幼少期からどれだけ「他者の喜怒哀楽を感じて生活してきたのか」によって身に付くか否かが決まると思います。

親や友人のような身近な人から得た、多くの感情のメモリーがあるかによるのはないでしょうか。


幼少期から過保護だったり、適切な助言や指導を受けずに育ってしまった場合、自分の感情に関するメモリーしか残りません。

他者の感情を推測する「材料」を得る事ができずに成長してしまうのです。


そうして、他者の苦痛の感情をイメージできないままだとどうなるのでしょうか?

「その場の重苦しい空気が我慢できなくなる」といった傾向が強くなります。


そして、人の苦悩の話題になると、感情を合わせることができず「一人置いていかれている感覚」になってきます。


そうなると、その場の空気を自分好みの「気軽な感じ」にしたくなる心理が働き、他者の苦しみについての話題を茶化すような態度をとってしまうのです。

自分の好みの空気にする悪しき習慣

どのような状況であっても、自分好みの空気にする習慣がついてしまうと、人の苦しみに対して拒否的になります。


さらに、時間がたつと、人の気持ち全てを知ることが苦手になってきます。


そして、茶化すことで自分の苦手な空気になることを防ごうとする傾向が慢性化。

よって、人が病気で苦しんでいるといった話や、病気の恐ろしさについて説明を受けても、優しい対応ができないのです。


感情が合わせることができないとなると、ふざけてその場をごまかそうとし、周囲のひんしゅくをかってしまうでしょう。

若い時に優しい人になれないと永遠に優しくならない理由

『アドラー心理学』で有名なアルフレッド・アドラー氏は「人は自分の性格を変えようとはしないものだ」と言います。


人間には、自分にとって都合のいい情報だけを取り入れる本能があります。

ときに、事実が想像とは違っても都合のいいように解釈をねじ曲げます。


そして、常に「私の考え方は正しかったのだ」と、自分自身を納得させようとするのです。


前章のお話のように、自分にとって快適な空気や考え方を採用することで、自分自身の苦しみから逃れようとします。

マイペースでやっていきたいのに、他者の苦しみに合わせるなんて、それこそ「苦痛」なのです。


こうやって、他者の苦しい状況にそっぽを向く、一生払いのけられない習慣がついてしまいます。

このような不合理な選択を心理学では『認知バイアス』と呼びます。

病気という万人で共有すべき苦しみに目をそむける人は、若い時から認知バイアスに支配されているのではないでしょうか。


自分を守るために発動される『認知バイアス』は、無意識発動であるため、セルフコントロールが難しいと言われています。


かりに、優しくない自分に嫌気がさして「優しくなるぞ」と決心したとしても、優しさを身につけるのはイバラの道です。

長年、染みついた横柄な態度は数年程度で克服できるものではないのです。


他者の参考に優しい対応をしたとしても、不自然さは隠せません。

新たにスポーツを初めても、ちょっとやったくらいでプロのレベルには到達しないのと同じです。


ようするに、子供の時から病気に苦しむ祖父母に寄り添う姿を親がみせないと、そう簡単には優しさなんて得る事ができないのです。

若くして優しさを習得できている人は、子供の時から人の苦しみに対しての感受性が養われてきたのではないかと思います。


優しさは素質。

でも、素質がないと自分で決めつけて諦めないように。


優しさを身につける訓練として有効な方法・・・。

それは、『優しさの良い手本をみつけて、言動をコピーするように心がけること』。


私と共に、他者に癒しを与えられる優しさを習得できるように心がけていきましょうね。


それでは。
以上、今日も勝手な理論をまとまりなく話す弥津でした。

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